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最高裁判所第一小法廷 平成10年(行ツ)6号 判決 1998年3月12日

東京都世田谷区桜新町二丁目一三番五号

上告人

株式会社ネコ・パブリッシング

右代表者代表取締役

笹本健次

右訴訟代理人弁護士

河野敬

東京都千代田区霞が関三丁目四番三号

被上告人

特許庁長官 荒井寿光

右当事者間の東京高等裁判所平成八年(行ケ)第三二三号審決取消請求事件について、同裁判所が平成九年六月二六日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人河野敬の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。右判断は、所論引用の判例に抵触するものではない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 井嶋一友 裁判官 小野幹雄 裁判官 遠藤光男 裁判官 藤井正雄 裁判官 大出峻郎)

(平成一〇年(行ツ)第六号 上告人 株式会社ネコ・パブリッシング)

上告代理人河野敬の上告理由

第一点 称呼の類否判断における経験法則違背

原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違背がある。

すなわち、原判決は、経験法則に違背した結果、重大な判断過程の誤りがあり、そのため商標法四条一項一一号の解釈・適用を誤った違法がある。この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。

一 原判決は、本願商標「デイトナ」の称呼が引用商標「ディトナ」(登録第八六六五二五号商標)の称呼と類似するとして、右判断を前提に、本願商標が商標法四条一項一一号に該当すると判示している。

しかしながら、本願商標「デイトナ」の称呼が引用商標「ディトナ」の称呼と類似するとの経験法則は存在しておらず、原判決の右判示は、およそ事実の評価及び商標の類否判断を誤ったものであり、商標法四条一項一一号の解釈・適用を誤っているといわざるをえない。

二 原判決は、「本願商標の構成において唯一の母音である『イ』が直前の『デ』と極めて結び付きやすい音であることに鑑みれば、本願商標の称呼の前半の「『デ・イ』が『ディ』あるいは『デイ』のように、一音節あるいはそれに近い形で滑らかに発音され聴取されることも、十分に考えられるところである。」とし、「そうすると、本願商標は、引用商標の称呼『ディトナ』と同一に、あるいはこれと相紛れるほど近似して称呼される場合が少なからずあると考えざるを得ない。」と判示している。

しかし、母音「イ」が「デ(de)」と結びつきやすいなどとする音声学上の根拠は存在しない。原判決は経験法則の適用を誤っている。

三 本願商標「デイトナ」が「de・i・to・na」と四音節に発音され、音声学的にみるならば、子音「d」+母音「e」による「デ」、母音「i」による「イ」、子音「t」+母音「o」による「ト」、子音「n」+母音「a」による「ナ」の各音節による構成であることは、上告人が原審において指摘したとおり争う余地のない客観的事実である。

これに対し、引用商標「ディトナ」は、「di・to・na」と三音節に発音されるのであり、音声学的に分析すれば、子音「d」+母音「i」による「ディ」、子音「t」+母音「o」による「ト」及び子音「n」+母音「a」による「ナ」の各音節による構成となる。

本願商標と引用商標は、各称呼において、「トナ」の部分を共通にしているが、語頭における「デイ(de・i)」及び「ディ(di)」の各部分を異にしており、前記のとおり、本願商標は、子音「d」に母音「e」が結合した「デ」及び母音「i」の「イ」の二音節(母音は二音)であるのに対し、引用商標は、子音「d」に母音「i」が結合した「ディ」の一音節(母音は一音)である。

原判決は、「本願商標の構成において唯一の母音である『イ』が、直前の『デ』と極めて結び付きやすい音である」と判示している。しかし、本願商標の構成において「デイトナ」の「イ」が「唯一の母音」ではないことを暫く措くとしても、子音「d」に「i」が結び付いた場合に「ディ(di)」となることはいうまでもないが、「デ(de)」の直後に「イ(i)」が続いた場合にはあくまでも「デイ(de・i)」であり、これが「ディ(di)」と発音され聴敗されることはありえない。

音声学者は、この点について、「子音[d]に母音アエオが連発されると[ダ}[デ][ド]である。また、これに母音[イ][ウ]の熟した場合は[ディ](di)、[ドゥ](du)であって[ヂ](d3i)、[ヅ](dzu)ではない。」と指摘しているところであり、「デ(de)」に「イ(i)」が続く場合は「デイ(de・i)」なのであって、「ディ(di)」と発音されることはないのである(大西雅雄「国語音声教本」四〇~四一頁参考資料一参照。なお、大西雅雄は乙第七号証の著者である)。

四 被上告人は、原審において、「母音『e(エ)』と『i(イ)』はもともと近似した母音であってその差異が明らかであるとはいえない」と主張していたが、これは「e」及び「i」のみを単純に比較したときには妥当する場合があるとしても、「e」+「i」と連続した場合に、「エイ(ei)」の発音が「イ(i)」になるという経験法則は、音声学上存在していない。乙第七号証四一頁は、「イ」及び「エ」の母音としての音声学上の位置づけを説明している記述であり(大西雅雄「国語音声教本」六頁「日本音声分類表」参照)、子音「d」に母音「e」が結合し、さらに、これに「i」が連続して結合した場合に、「『ディ』あるいは『デイ』のように、一音節あるいはそれに近い形で滑らかに発音され聴取される」などと記載していないことは文理上も明らかである。乙第八号証の内容についても同様である。

本願商標「デイトナ」の「デイ」は、「一音節あるいはそれに近い形で滑らかに発音され聴取され」たとしても、「デイ(dei)」であり、「ディ(di)」と「同一に、あるいはこれと相紛れるほど近似して称呼される場合」は音声学上存在しない。

このような事例は、例えば、年月日を意味する英文「date デイト」は、「de・i・to」であり、「ディト(di・to)」と発音されることはなく、また、米国オハイオ州の都市「Dayton デイトン」は「ディトン(di・to・n)」と発音されることも聴取されこともないなど枚挙に暇がないところである。

五 原判決の前記判示は、本願商標「デイトナ」の「デ(de)」、すなわち子音「d」+母音「e」が、引用商標「ディトナ」の子音「d」と同一であると誤認したうえに、「デイ(de・i)」が「ディ(di)」と「発音され聴取される」などと現実にはありえない誤った見解を前提としており、経験法則に違背する判断であるといわざるをえない。

本願商標は、称呼において、引用商標とは音節及び音の構造が異っているばかりでなく、語頭における「de・i」と「di」の差異が明瞭に聴取されるのであり、この差異が語調、語感の際立った違いを浮き出させているのである。

原判決は、称呼における類否判断の経験法則に違背し、商標法四条一項一一号の解釈・適用を誤ったものである。

第二点 類否判断に関する判例違背

原判決には、商標の類否判断に関する判例に違背し、そのため商標法四条一項一一号の解釈・適用を誤った違法があり、この違法が判決に影響を及ぼすことが明らかである。さらに、審理不尽ないし理由不備の違法がある。

一 商標の類否判断について、判例は、「同一又は類似の商品に使用された商標が外観、観念、称呼等によって取引者、需要者に与える印象、記憶、連想等を総合して全体的に考察すべきであり、かつ、その商品の取引の実情を明らかにし得る限り、その具体的な取引状況に基づいて判断すべきものである。右のとおり、商標の外観、観念又は称呼の類似は、その商標を使用した商品につき出所を誤認混同するおそれを推測させる一応の基準にすぎず、したがって、右三点のうち類似する点があるとしても、他の点において著しく相違するか、又は取引の実情等によって何ら商品の出所を誤認混同するおそれが認められないものについては、これを類似商標と解することはできないというべきである(最高裁昭和三九年(行ツ)第一一〇号 同四三年二月二七日第三小法廷判決・民集二二巻二号三九九頁参照)。」とその判断基準を示している(最高裁平成九年三月一一日三小判・民集五一巻三号一〇五五頁)。

すなわち、「取引の実情等」によって、「商品の出所を誤認混同するおそれ」が認められてはじめて類似商標とされるのであり、当該判断にあたっては、商標が「外観、観念、称呼等によって取引者、需要者に与える印象、記憶、連想等を総合して全体的に考察すべき」であり、かつ、「その商品の取引の実情を明らかにし得る限り、その具体的な取引状況に基づいて判断すべき」であるとされているところである。

二1 本願商標は、上告人が一九九一(平成三)年六月六日創刊号(甲第四五号証、甲第四六号証)を発売した月刊雑誌「デイトナ」「DAYTONA」の表示を、本件指定商品について使用するために登録出願したものであることは(甲第三号証八四~九〇頁、甲第四号証一二八頁、甲第五号証二〇一頁、甲第六号証二〇〇頁、甲第七号証二七六頁など)、すでに原審において明らかにしたとおりである。

右雑誌「デイトナ」「DAYTONA」は、現在も月刊で発行され続けていることはいうまでもなく(甲第二号証)、一般書店のほかコンビニエンス・ストア等においても販売されており、全国に分布する幅広い読者に支持されている自動車雑誌である(甲第八号証)。

また、上告人は、「デイトナ」「DAYTONA」の標章について、一九九一(平成三)年一月三〇日、指定商品印刷物等として登録を出願し、「デイトナ」は一九九三(平成五)年六月三〇日に登録第二五四九五一五号商標(甲第九号証、甲第一〇号証)として、また、「DAYTONA」は一九九三(平成五)年九月三〇日に登録第二五七七五七九号商標(甲第一一号証、甲第一二号証)として各登録されている。

2 右「デイトナ」「DAYTONA」の各標章は、上告人が、自動車競技におけるDAYTONA二四時間レースで著名なレース場が所在する米国フロリダ州の地名「DAYTONA BEACH」をヒントに、このうち「DAYTONA」部分から独自に構成した商標である。

デイトナ二四時間レースは、世界的に有名な自動車レースであり(甲第一三号証、甲第一四号証ないし甲第二五号証)、わが国においても、専門家あるいは自動車の分野に関心のある人にとっては周知のことであったが、前記雑誌「デイトナ」「DAYTONA」が発刊され、同誌が周知著名になるのに比例して、広く一般にも周知されるようになった(甲第二六号証ないし甲第二九号証)。

雑誌「デイトナ」「DAYTONA」が好評で広般な読者層に支持され発行部数を伸ばしたため、一九九二(平成四)年四月からは同雑誌と提携したテレビ番組「デイトナTV」「DAYTONA TV」も開始され(甲第三〇号証、甲第三一号証)、一九九三(平成五)年九月まで一年六か月にわたり放映され(甲第三二号証の一~七六)、「デイトナ」「DAYTONA」の各表示は、原告の商品表示として広く日本全国において周知著名となっている。

また、上告人はこの間、関連会社に出資して、「デイトナ・パーク」「DAYTONA PARK」を開設し(甲第三三号証ないし甲第三六号証)、さらに、被服等本件指定商品を含む「デイトナ」「DAYTONA」関連グッズの販売を雑誌「デイトナ」「DAYTONA」誌上及び前記施設において行ってきたところである(甲第三号証八四~九〇頁、甲第四号証一二八頁、甲第五号証二〇一頁、甲第六号証二〇〇頁、甲第七号証二七六頁など)。

3 ところでデイトナ二四時間レースは、世界的に著名なレースであるため、そのレースの歴史が内外において広く紹介されてきているばかりでなく(前記甲第一三号証、甲第一四号証ないし甲第二五号証のほか、甲第二六号証ないし甲第二九号証、甲第三七号証など)、レースを記念してフェラーリ、クライスラー等の製造する自動車に「デイトナ」「DAYTONA」の命名がなされたり(フェラーリについて、甲第三八号証ないし甲第四〇号証、クライスラーについて、甲第四一号証)、あるいは、腕時計についてロレックスが「デイトナ」「DAYTONA」という商品を発売するなどしていること(甲第四二号証一二一頁、一二七頁、甲第四三号証一五四~一五七頁)も、広く知られている事実である。このような「デイトナ」「DAYTONA」と命名された商品が存在しているということは、「デイトナ」「DAYTONA」の文字がデイトナ二四時間レースとその歴史にかかわる明確なイメージを発信しているからにほかならない。

4 原判決は、「『デイトナ』あるいは『Daytona・デイトナ』、『DAYTONA・デイトナ』の標章は本願商標の指定商品の取引者・需要者に周知・著名のものとは認められない」と判示している。

しかしながら、原判決は、雑誌「デイトナ」「DAYTONA」が、前記のとおり毎月実売で三〇万部(公称五〇万部)をこえる発行部数をもつ雑誌であり、長期間に及ぶテレビ放映及びアミューズメント施設等により、上告人の商品表示として周知著名であることを看過しているといわざるをえない(甲第二号証、甲第八号証など)。

また、デイトナ二四時間レースを報じている記事やその歴史に関する前記文献等を参照するならば、デイトナ二四時間レースが自動車競技を愛好する人々を中心として広く関心を持たれており、わが国においても周知となっている事実が明らかである(前記各証拠のほか、バイクについて甲第四七号証)。

フェラーリ及びクライスラーが、その製造する自動車に「デイトナ」「DAYTONA」と命名していること、ロレックスが同じく腕時計に「デイトナ」「DAYTONA」と表示した商品を販売していることをみてもこれを十分に窺い知ることが可能である。

被上告人は、原審において、「被告が調査したところによれば、該表示(文字)が本願商標を使用する指定商品の取引分野で周知、著名と認定するに足る事実を見出し得なかった。」として、「広辞苑」(乙第一号証)、「大辞林」(乙第二号証)、「イミダス」(乙第三号証)、「現代用語の基礎知識」(乙第五号証)、「知恵蔵」(乙第六号証)に「デイトナ」「DAYTONA」の項目がなかったことをその根拠に挙げている(なお、「現代用語の基礎知識」がデイトナ二四時間レースに言及していることについて乙第五号証一二八六頁一段目参照。また、「イミダス」は九七年版において、同様の言及がある。甲第四四号証一二五八頁)。

しかしながら、雑誌「デイトナ」「DAYTONA」及び前記各商品が存在しているという事実は、被上告人の調査が不完全かつ不十分なものであったことを端的に示しているというべきである。さらに、上告人が現実に広く使用している標章「デイトナ」「DAYTONA」が引用商標「ディトナ」と誤認混同されたとの事例は存在していない。

少くとも、「取引者、需要者に与える印象、記憶、連想等」について、このような事実を無視することは許されない。

三 原判決は、「本願商標の指定商品は一般的な被服・布製身回品・寝具類であるから、その取引者・需要者の多くが自動車あるいは自動車レースに関心を有しているとは考えられ」ないこと、また、雑誌「デイトナ」「DAYTONA」は、「自動車関連の雑誌の中においてもかなり特殊な読者層を対象としているものであることが明らかである。」から、取引者・需要者が右雑誌の表題を想起することは「到底あり得ない」と判示している。

毎月毎月三〇万人を超える人々が購入する雑誌の読者層が「かなり特殊な読者層」であるとする原判決の認定判断及び一年六か月にわたるテレビ番組による「デイトナ」「DAYTONA」の表示の放映にもかかわらず、右雑誌の表示を想起させることが「到底あり得ない」とする原判決の認定判断は、著しく経験法則に違背するものであるといわざるをえないが、この点を別論としても、原判決は、「外観、観念、称呼等によって取引者、需要者に与える印象、記憶、連想等を総合して全体的に考察すべき」であるのにこれをなさず、また、「その商品の取引の実情を明らかにし得る限り、その具体的な取引状況に基づいて判断すべき」であるのにかかわらずこれを怠ったものである。

原判決は、この点について審理不尽ないし理由不備の謗りを免れない。

四 前記のとおり、本願商標「デイトナ」の表示は、上告人の商品表示として日本全国に広く周知されているのであり、これを看過して、取引者、需要者に何らの「印象、記憶、連想等」も生じさせないとすることは誤りである。

さらに、原判決は、「取引者・需要者」について、「本願商標の指定商品は一般的な被服・布製身回品・寝具類であるから」、「デイトナ」を識別することができないと判示しているが、本願商標を使用した本件指定商品は、一般の流通ルートによる衣料品店等で販売されているわけではなく、上告人が発行している雑誌「デイトナ」「DAYTONA」による通信販売(たとえば、甲第三号証八四~九〇頁、甲第四号証一二八頁、甲第五号証二〇一頁、甲第六号証二〇〇頁、甲第七号証二七六頁など)あるいはアミューズメント施設「デイトナ・パーク」における販売に限定して供給されているのであって、これらの本件商品の「取引者・需要者」が、本願商標について引用商標と誤認混同するおそれなどおよそ生じうる余地がない。

五 原判決は、本願商標を使用した商品の「取引の実情等」を「その具体的な取引状況に基づいて判断」することがなかったため、前記判例に違背し、商標の類否判断を誤ったものである。

以上のとおり、本件において、本願商標が「商品の出所を誤認混同するおそれ」は認められず、原判決の違法は、判決に影響を及ぼすことが明らかである。

以上

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